
一般家庭の長男として誕生し、祖母の病気を治したいという想いで2歳から医者を目指す。中学時代の目標は「西洋医学と東洋医学の融合」。医学生となり、無医村で働く医師を目指し、総合診療医になることを夢見る。胸部外科に入局し、その後脳神経外科、循環器内科、麻酔科、放射線科などを経験し、在宅訪問医療や老健施設の立ち上げを協力したり慢性期病院の副院長などを歴任する。 阪神淡路大震災の時には、現地にて3ヶ月間の医療ボランティアとその後5年間のフォローアップを行い、バングラデシュなどへの海外医療援助活動も行う。震災後から代替補完医療を始め、アトピーや難病の集まる土佐清水病院の丹羽靱負博士の元で働くことを決意して、医局を離れる。その後、常に同時に数ヶ所の医療機関で働き、各施設の院長や副院長を歴任。市民病院の総合内科外来や市立病院の立て直しにも参画。10年ほど前より、ロシアIMEDIS社による政府公認の生体波動共鳴療法を学び、恵比寿イデクリニックを経て、現在は「恵美寿4i-EVM エネルギー振動医学研究所」を開設。